1人の時間は自分らしい人生を生きたかったら必須という話

大体の人間は、小学校、中学校、高校に通い、そこから就職するか、大学に進学するか、はたまた専門学校に進学するか、まあ、そういうレールの上を走ってきて、そしてこれからも走っていくと思う。そうして、生来レールの上を走ってきた人間は、自分の感情、思考が完全に自分の内側から湧いてくるものだと、信じている。

いや、そもそも問題にすらしないのかもしれない。実際、私がそうであった。

私は、小学校の頃から何となく自分は人と違うなー、と、感じながら何やかんや今(19)まで生きてきた。それでも、小、中、高と、いわゆる普通の幸せみたいなものを手に入れてきた方だと思う。友達は多い方だったし、中、高と、彼女もいた。部活はサッカー部で、部活の中では、ぼちぼち尊敬されていた。しかし、高校生になって、謎の強烈な生きづらさに悩まされていた。大学受験に落ちて、浪人をするという選択をとり、さらに宅浪(予備校に行かずに家で勉強する浪人の仕方)

を選んだ私は、夏前には彼女と別れ、秋以降は同い年の人間と一回も喋らずに、今に至る。

この一年間、社会から分離されていたと言ってもいい。そして、自分と向き合う時間をたくさん経験して、高校の時の生きづらさは、自分のアイデンティティと、社会が求める普通、常識の乖離だということに気がついた。高校までの人生では、

そもそも私は自分のアイデンティティというものをはっきり認識できていなかった。そしてそれと社会が求める普通の乖離に意味もわからず苦しめられていた。しかし、この一年間、浪人して、自分と沢山向き合い、自分が何が好きなのか、何が嫌いなのか、将来どうありたいかとか、色々知れて、今まで自分が相当我慢していたことに気がついた。そして、将来の不安がほぼ消えた。

ここで私が言いたいのは、1人にならなきゃ、そもそも自分の本当の感情、思考の存在にさえ気づけないということだ。

私は浪人をすることで社会と分離され、たまたま自分を知る機会に恵まれた。しかし、大抵の人は、社会のレールから外れる機会なんてそうないと思う。だから私はここで声を大にして言いたい、「一旦、1人になってみろ!」

世の中には生きづらさを感じている人は50%以上いるらしい。ばかげている。みんな社会の幸せを追って、大学受験、就職、結婚、子供、、、、と

途方もないレースを走りながら、生きづらいと嘆いている(学生の頃の私がそうであったように)

自分の本当の価値観を知ることができたら、意外と人生は簡単に幸せにできる。私は、週に一冊本が読めたり、Netflixで、毎週2、3話アニメが見れたらもう充分幸せを感じることができる。

1人の時間は、人生の難易度を下げる最重要パーツなのだ。

始まり始まり

今日からブログを書くことにする。

 

何を書けばいいのか、どう書けば人に伝わりやすいのか、とか何もわからない。何がわからないのかもわからない。ただ、まあ適当に始めてみる。

 

ブログを始める経緯としては、ある本に、自分を知るには書く習慣をつけるのが良い、書いてあったから。

 

今日何があったか、何を感じたか、何を考えたか、そう言うものをアウトプットする場所としてここを使うことにする。